日本の「広場」の使い方に「社会的なロス???」障害者雇用を考える。

今日は、とあるプレゼンテーション大会のリハーサルでした。
実行委員のスタッフの皆さんの前で、現状の原稿を元にプレゼンテーションをする。

その後は、懇親会。
お酒と食事が振る舞われて、スピーカーとスタッフの交流。

スタッフは、小学生から仕事をリタイアされている方(?)、外国人も多い。
無給のボランティアで組織されているそうだ。
だから、一人ひとり参加目的がハッキリしている。
そして、スタッフさんもかなりの数がいるから、ちゃんと価値が共有されていて凄い。
人間関係や色んな気づきを持ち帰っているんだろうなぁ。
こういうボランティアの場は必要だな〜〜〜と思った。

そこで出会った、男性(めっちゃオシャレなおじさま)とのビール片手の立ち話。
僕がプレゼンテーションしているときから
鋭い質問や僕の考えの先に行っちゃっているようなコメントしていたおじさま。
不動産関係の仕事をされているらしい。(街づくりとか都市計画)

まず面白かったのは、広場(公園)の話。

舞台は、フランス・ニースのサレヤ広場。
朝は、朝市が開催され花や野菜などが販売されている。(これを「マチネ」というらしい)
夕方からは、レストランのテラス席になる。(これを「ソワレ」というらしい)

街の広場をそうやって市民が日常的に利活用している。ということ。
市民が使うことによって、維持管理がされている。

一方、日本の広場や公園は、
まだまだオープンになっていないところが多く、市民が活用しにくいとのこと。
そして、基本的に行政が管理するので、維持管理に税金が投入される。

「市民が活用しやすくすれば、管理に使う税金も減るのに」と
街づくりの視点から非常にそれは「社会的なロスが大きい」と。

そして、この話を僕にした「わけ」を続けてお話しくださった。

「いま、どれだけ障害者の力を社会が活かせているか?」
「できないことにフォーカスして、仕事の選択肢を制限していないか?」
「そして、こんな仕事しか無いからゴメンと、税金(障害者年金)を投入してないか?」

これは「社会的なロス」が大きいと。

これは僕もかなり頷けた。

僕が今まで出会ったDEAFに
学生時代、苦境にさらされながらも努力し、力をつけたところで就職活動。
しかし、その実力を見られるどころか「聴覚障害者」としか見られていない
そして、電話ができないからという理由等で、職場の配置の選択肢がギュッと絞られる
どうすれば、キャリアアップするのかなども用意されていない…

そういった流れをたくさん見てきたからだ。

頑張ってきたDEAFほど、社会に出て不遇を味わうような現状がそこにある。(もちろん、全部がそうではない)

その個人の幸福にとっても、社会の生産力という点でも
もったいないなーと思っていた。

とにかく、選択肢が少ない。(夢を叶えようと思うと、かなりその個人の突破力が必要になってくる)

そして、その不遇さに税金が払われている。

なるほど「社会的なロスが大きい」かも知れないなーーー。

日常考えていることを、まさか広場の例から語られるとは思わなかった。
刺激的な時間だった。

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