【その①】フィンランドで見つけた日本の障害分野で次の当たり前になるであろうキーワード

少し前ですが日本に帰ってきました。フィンランド滞在は本当に刺激になりました。
外から、日本や自社、「障害」や「制度」のことを考えられたことは、とても大きかったです。
  
確かにフィンランドでは、良いなと思うことにたくさん出会いました。
「隣の芝は青い」と自分の顔に書いてあったような気もします。
 
でも、日本に帰ってきて、日本も素晴らしいなと皆で言い合いました。
それぞれの文化の背景には、主に地理的な要因が派生して、歴史的に作り出された「人の雰囲気」があるのだと深く理解しました。
日本とフィンランドの文化的な違いを考えた上で、僕たちはどう動いていくのだろう。
今回の体験をアウトプットするにあたり、日本にとって、極力多くの人にとって価値のあるものはなんだろうと
今もなお、共にフィンランドに行った仲間と話し合っています。
 
話し合いを重ね、僕たちが議論する上で欠かすことのない「キーワード」については
間違いなく、フィンランドで見た新しい景色であり、「日本にもこんな考え方があればいいのに」と
先進的に思った部分なので「日本の障害分野でも当たり前になるであろうキーワード」として紹介したいと思います。

日本手話由来のジェスチャーがフィンランドの手話通訳者(ホームステイ先)の方に通じたのもとても感動しました。

 
 

その①:障害の「Human Rightsモデル」

いきなり言って、何なんですが、この考えは日本にあまり浸透していないだけで
「条約モデル」といったような名称で、言葉としては存在しています。
(条約とは国連で採択された「障害者権利条約(英語略:CRPD)」を指している)
 
活動中、「人権モデル」と呼び、さらに響きの良さから「Human Rightsモデル」と呼ぶようになりました。
その辺のワードセンスもフィンランドで大事だと思ったことの一つです。
 
ほんで、何やねんって話ですよね!

これは実は、出発前の意気込みブログでも触れていました。
「Human Rightsモデル」を知る前に「医療(医学)モデル」や「社会モデル」について押さえておきたい方見てみてください。

参考

フィンランドで「障害者」は弱者なのか? 〜脱・障害者という負のレッテル〜おなぽえむ

この「Human Rightsモデル」が指す「Human Rights」や条約というのは、、、
小難しい話を書こうと思ったけど読んでいる方が期待しているのって、「んで何やねん!」ですよね。
それを書きます。
 
人はだれでも生きる上でニーズを持っている。それを満たそう!
これです。
 
フィンランドではこれを「Human Rights」と呼びます。日本語訳では「人権」です。
日本でも「人権」って言葉自体はよく聞きますね。差別されないとか。
例えば、日本でも「基本的人権」という形で日本国憲法に記載され、それを保障されています。
 
わかりやすいページを発見しました。深く知りたい方はご参考に。

参考

基本的人権政治経済塾

 
「生きる上でのニーズ」と言われて、例えば教育とかって、僕も勉強は嫌いでしたけど、「受ける?受けない?」と聞かれたら受けたいですよね。
そしたらそれは、「教育を受けたいというニーズ」になります。おそらく誰もが持っているニーズです。
そしてさらに個別化していけば、「家の近くで教育を受けたい」というニーズもあるでしょう。
「大学院まで行って高度教育を受けたい」というニーズもあるでしょう。
さらに行くと、目の見えない人が「学校まで送迎して欲しい」というニーズもあるでしょう。
さらにさらに、Silent Voice流に行くと「先生の声が聞こえないので、手話で授業が受けたい。地域で学びたいので手話通訳を付けたい」というニーズもあるわけです。
 
これを個別に「できる限り」国や自治体がHuman Rights(人権)として認め、ニーズを満たしていこう。
この考え方が「Human Rightsモデル」です。
 
 

 
そして「人はだれでも生きる上でニーズをもっている」という観点から、ニーズが異なるだけで、「障害者」や「健常者」という境目はかなり曖昧になりますし、多くの人の異なったニーズを満たせる「ユニバーサルアイデア」は合理的なものとして歓迎されます。

いろんな子どもたちがいろんなツールで、時には混ざりあって、楽しそうに学び舎で暮らしていました。

 
フィンランドはこの点において、どの施設に行っても非常に熱心に取り組んでいる印象があったのと、Human Rightsモデルを実行することやHuman Rightsを守るというマインドが共有されていました。
 
 
例えば、僕が施設で「この方は何の障害があるのですか?」と聞いたときに、その施設の方は「本人のプライベートだから(疾病の内容は)教えられない。ただこの方は、移動支援と移動がしやすい住居に住みたいというニーズを持っている」という説明がありました。
 
 
決して「何かができない人」という負のレッテルを背負っている人ではない、そんな印象を受けました。

 
僕は特に教育の点において(お金の話などは棚に上げてはいますが)このHuman Rightsモデルが活かされていること、社会で活躍する前の子どもたちの成長機会の不平等が積極的に無くされているというところに大変共感しました。
教育で世界ナンバーワンになったフィンランドは「落ちこぼれがいない」ということも深く合点がいきました。
 
 
その様に多様なニーズに応えてくれるという環境で、「できないこと」が減れば、障害者の社会進出もしやすくなるという印象がありました。
 
 
 
この話は次のその②の記事で、更に深めていきます。

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