聴覚障害者の母がカフェを経営している話 〜脱・障害者という負のレッテル〜

STORY

 
少女は両親の運転する車に揺られていた。
行く先を告げられようが、まだ理解ができないだろう。まだ4歳だ。
ただ、ひとつ分かった。親が自分を置いて去っていく。

周りを囲む大人たちの制止を振りほどいて駆け寄り、一心に父のベルトを掴んだ。
少女の父はベルトを強く掴んだ娘の、まだ細くて小さい手の一本一本を離していく。
4歳とは思えない力だったという。父の目には涙が、ベルトには血が滲んでいた。
 
尾中幸恵さんは2歳で失聴。4歳になる頃には実家から遠く離れたろう学校の寮へ入らなければならなくなった。
 
それから20年、三児のママとなり、さらに20年後には自身の経営するカフェのママになった。
 
今年、「コーヒーハウスCODA(コーダ)」は6年目を迎える。
2017年10月にお陰様で丸10年になりました!

上の文章は、Silent Voiceという「聴覚障害者の強み」にフォーカスした団体を作ろう!と
仲間たちと一念発起した2014年に、一番最初に作った記事です。
ちょっと気取った文章で、少し恥ずかしいですが。、。
 

MEMO

今もSilent Voiceのウェブサイトに載ってます。
母の生い立ちを知りたい方はぜひ読んでみてくださいね。

 
 
4年がたった今、少し角度を変えて、このSilent Voiceという会社や構想の原点になった
母こと尾中幸恵のカフェ起業について書いてみようと思います。

 
 
母のお店は、2018年の現在でも私の故郷の滋賀県JR大津駅前で続いています。
前回記事の4年前と大きく異なるのは、なんと大津駅前にスターバックスができたのです!
そして、コンビニでも100円で美味しいコーヒーが飲めるようになりイートインスペースも珍しくなくなりました。
 

スタバのある大津駅、なんかちょっと都会っぽい?!

 
 
 
日曜日には行く店がなかった大津駅にもたくさんお店ができました。
お母さん、経営厳しくなったんじゃないの?

息子

えっ、ずっと変わってないよ。
 
まじでかよ!
 
 
普通下がるだろ〜〜〜!!
でも確かに…と、いつもお店に来てくださっているお客さんの顔を浮かべて合点がいったんです。
単にコーヒーを飲むために、作業をするために、来ているお客さんが少ないなぁと思ったんです。
母という個性が、お店の味になっているなぁと、手前味噌ながら思ったのです。
そしてそれが、素敵なお客様たちとの人間関係になっている。
 
 

(写真はSilent Voiceをつくるきっかけにもなってくださった栗田一歩さん提供)
 

しかし、始める当初、周りからは心配の声が上がっていました。
心配事はただひとつ、「お客さんの声が聞こえない」ということです。
カウンター10席程度とはいえ、百万単位でお金がかかる事業です。
 
 
始めたばかりの頃、ビルの管理会社さん・業者さんからの電話は僕にかかってきます。
手話通訳して、母に伝え、通訳をたくさんする度に、僕自身にも心配が募り背筋が寒くなってきました。
僕も、勝手に色々考え「食券式にしたら?」とか「店内を鏡張りにして、お客さんがよく見えるように!」とか 
色々、母に言いました。
 
 
でも母はきっぱり

何もいらないよ
 
 
と言って、せっせと準備に戻っていったのでした。
 
 
ほんと「?!」でした。
そして、ついにお店はオープンし、居抜き物件でもあったため
前のお店の時代から来ていたお客さんが入り始めたのです。
 
 
最初は不安で、お店の外から中を覗いていました。
初めてのお客さんが来店する度に「どうなるんだっ?!」ってすりガラス越しに見ていました。
 
 
開店初期の忘れられない、すりガラス越しの光景があります。
スーツケースを引いて、完全に初めの来店であろうお客さんが扉を開けてお店に入っていきました。
ゆっくり閉まる入口のドアの隙間から、そのお客さんの声が僕の耳に飛び込んできました。
お客さんは、入店と同時に「ママ、灰皿ちょうだい!」と言ったのです。
 
 
ところがお母さんは、入店したことにすら気づいていない…!
「まずい!」僕の手話通訳魂にエンジンが掛かりそうになったとき、
 
 
ふと、「いつもどうしているんだろう?」と思ったのです。
僕はそれから、すりガラス越しに静観することを続けました。
 


 

 

 

 
生まれてくる困惑と、深まる静寂
  

  

 

 

 

  
すると、隣りに座っていた常連さんがサッと灰皿を回してくださったんです。
 
 

神だ〜〜〜!

息子

 
 

僕はその日の閉店後、お母さんに言いました。
「いつもお客さんに助けてもらってばっかりだったら、お店続かないよ」
その時の本心でした。
 

母は、こう返してくれたんです。
 

一度助けてもらったら、二度助けるつもりでやってる。
 
 
確かに、お母さんは、お客さんの声は聞こえない。
でも、すりガラス越しに母を見ていて「聞こえないから、見てるんだ」って思っていたのも事実でした。
 
 
そこからしばらくやっていくと、
いつも円形のカウンターに座るお客様に目配せをして、
例えば、昨日来たお客さんが今日も来て、その表情からお客さんの気持ちを読み取り
「どうかされたんですか?」と一番最初に気づいて行動できるのは
一番お客さんのことを理解しようとしている母なんだと思うようになりました。
 
 
「一度助けてもらったら、二度助けるつもりでやってる」
 
 
その言葉がすぐに出てくるのは、やはり母が助けてもらうことも多いからだと思います。

母のお店を紹介してくれたNHKの番組の一コマ

 
でも、お母さんが助けることだってある。むしろ、それを心がけているのです。
そうすると、お店の中で起きることはお互いさまのことが多くなってくる。
そう、うまくいかないこともあるのでしょうけど
お互いに「ありがとう」と言って、そこに人間関係が生まれていく光景が珍しくないのです。
 
 
 
僕はそうやって、どんどん広がっていくお客さんと母を見て
「母は聴力を失って、何かを得たのかもしれないな」と思いました。
 
それが間違いなく、「聞こえないからこその強み」Silent Voiceの活動の原点です。
 

息子的まとめ

働く母も、来てくださるお客さんも、お店に集まる人は、みんな同じ人間。
「障害者」や「健常者」、あの人は「社長だから」「良い家の生まれ」とか
あの人は「ダメ」とか…etc
人はそうやって他人にレッテルを貼られたり、自分自身で貼ったりと、するものですよね。

時にそのレッテルが、重く・苦しくなる時があると思うんです。
でも本当は、人間は人間でしかなくて。
 
母は、そのレッテルを脱ぎ捨てる行動をしたんだなと思うのです。
 
母が障害者だから、お店に来ているお客さんはいません。
例えそれだとしたら、これまでの10年間お店が続かなかったでしょう。
 
 
母は、ひとりの人間としてお店に挑戦した。
あとは厳しい商売の世界で磨くのみなのでしょう。
お客様のためにならないと分かったから、食券式も店内鏡張りも要らなかったのでしょう。
 
 
小難しい話をするようですが、
「人間は、高度に機能的な社会を作り、その互助作用をもって個体を保護する」
 
 
これが、人間という生き物の「生存戦略」だそうです。
「お互いさま」「共に助け合う」社会を作ることによって子孫繁栄をしてきた人間。
すなわち「社会性」とは、まずもって「誰かの役に立つ」ことなのですね。
 
 
もし、周りから喜ばしくないレッテルを貼られたり、自分自身がよく分からなくなった時、
自分自身へのレッテルが重く・苦しい時は、「自分も他人も同じ人間だ」と開き直って
誰かのために行動してみると、自分本来の個性に出会えるのかもしれません。
 
 

最近、Silent Voiceが経営する聴覚障害・難聴児の総合学習塾デフアカデミーの
子どもたちと母のお店に行ってきました。
 
 
今まで自分の夢に自信の持てなかった子どもが
母に会うだけで「将来、パン屋をやりたい!」とハッキリと言ったのです。
 
 
まさに、その子ども自身がレッテルを脱ぎ捨てた瞬間でした。
とても嬉しかったですし、やっぱり母はすごいなぁ!

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