フィンランドで「障害者」は弱者なのか? 〜脱・障害者という負のレッテル〜

内閣府青年国際交流事業フィンランド派遣団メンバーに選ばれました!

実感のわくアイテム

Silent Voiceのプロデューサーでもある森田氏(内閣府交流事業経験者)が紹介して下さったこのプログラム。
僕も常々「障害者」に関して、日本の常識だけで進めて行きたくないと考えておりましたので
高負担高福祉の福祉国家のフィンランドへ行けることは、とてもいい刺激が得られると直感的に感じました。
日本とはどんな違いがあるのか?
海外の良い考え方や施策はじゃんじゃん日本の中で、Silent Voiceという器を使って発信していきたい!

 
10月フィンランドへ行ってまいります!

6/29-7/1は、そのフィンランド派遣団のミーティングと、ドイツやニュージーランド派遣団との集合研修でした。
全国から選抜された志高き同士が集まっていました。
 
 

今回、同じフィンランド派遣団になった石渡団長とメンバー

 
 
研修を通じて、印象に残った言葉は
「Fast Alone,Far Together(早く行きたければひとりで行け。遠くに行きたければみんなで行け。)」
というアフリカのことわざです。
 
団を構成するのは、すでに実社会で実績のあるプロフェッショナルばかり。
ともすれば、自分の関心興味にひた走るかもしれない、まだ若い私たちをまとめるのに十分すぎる言葉でした。
みんな本気でやりたいことがある。だから力を合わせようという、
言葉に出てこない想いが感じられた時間でした。
そして、そんな仲間に出会えたことが嬉しかったです。
 
 

何のために行くのか

WFD(世界ろう連盟)の存在は気になる

選考を受ける段階で知っていたのは、フィンランドには「WFD(World Federation of the Deaf:世界ろう連盟)」という当事者の世界的機関があるということです。
国際オリンピック委員会(IOC)があって、日本オリンピック委員会(JOC)があるように、「世界」を範囲として物事を考えている機関です。
また、オリンピック・パラリンピックと一線を介してデフリンピック(聴覚障害者のみの五輪)が存在することから見て取れるように
WFDは他障害の世界的機関より独立性が高いと感じています。日本では「全日本ろうあ連盟」という団体があります。
世界的な「聴覚障害者」や「手話」の方針の確認と、その決定プロセス、現地では職員の方などの想いを聞いてみたいと考えています。
これによって、聴覚障害関連施策の大きな流れを汲みながら力を合わせた活動ができるようになると考えています。
  

世界一の教育は絶対みなアカン!

日本ではこれもかなり独立した立ち位置にある「ろう教育」に関して
「教育」世界ナンバーワンのフィンランドからインクルーシブ教育という観点で示唆を得たいとも考えています。
ある程度の専門性(きこえる子どもとの分離)は必要と考えているのか、
それとも全てにおいて、みんな一緒に学ぶことに価値を置いているのか?
日本にはグレーゾーン的に、難聴児が通常学級に入ってハンデを背負ったまま学習する環境が
依然としてありますが、どんな解があるのかフィンランドで模索してみようと思います。
 
 

教育のあとは就職

教育環境から、社会に出てどんな状況で仕事をしているのか?
人生最大の暇つぶしとも言える「仕事」はエンジョイできているのか?
それが非常に気になっています。
この点については、日本の中でも「障害者雇用」という考えが強いことから
「聴覚障害者」のみでなく「障害者」というレイヤーで学びを深めたいです。
 
 

とにかく、聴覚障害者の両親と過ごしていた僕の妹も含む家族。そこに偏見や障害なんてなかった。
社会に出て、そんな家族の中での「偏見や障害のない」状況ってなんか理想的だったと思う。
それって、社会の中で実現しようと思ったら何が必要?!みたいな関心が強い。
 
「障害者」って何かができない人。かわいそうな人、弱者。
みたいな、超ざっくりとした誤解を無くしていけるように必要なものをかき集めてきます。

 
 

6/29-7/1の研修での成果

団テーマを決める

今回の研修の大きいテーマの一つである「団テーマの決定」
チームで動く上での指針であり、これから私たちが深めていく内容のタイトルでもあります。
 
  
今まで、色んな論文を読んで、テーマ(論文のタイトル)長いなー。
もっとシンプルにならないの?とか、思ってましたがすみません。
僕たちのテーマは下記のとおりです。

団テーマ
フィンランドにおける社会システム、社会保障制度の基礎となる市民レベルでの価値観、教育観、職業観を紐解き、日本の地域社会の中にある障害者への偏見、障害者の社会参画・自己実現・就労における排他的状況を減らし、誰もが幸せに生きる地域社会作りを目指す。

でたっ!!長いやつ!!!
 
 
まさかそれを自分が生み出す側になるとは。
でも、やる側になってわかった。これは仕方のないことだ!!!
 
 
大切なのは、何のためにテーマを設けるかであって
今回は、私たち団員が「何のために何を知る必要があるか」ということを網羅的に記した結果こうなりました。
団員のひとりは、テーマができた瞬間に暗唱してた。ほぼ天才だと思った。
 
短い時間で集中して議論を重ね、プロセスを共有しながら生まれたので
みんなの納得感は高いと感じる。これはほぼ願いに近いけれど。
 
 
テーマを生み出すまでの間、内閣府職員や大学の先生、OB・OGの方が来てくださり
知識と知恵を提供して頂いたのも大きかった。
 
 

研修で学んだフィンランドの注目したいところ

あかんかったら止めたらええやん、ほんで良くしたらええやん

フィンランドの街を走る電車

フィンランドの路面電車の写真です。
中心にひとつだけノンステップの乗降口のある電車で、車椅子の人が乗り降りしやすいわけです。
調べたらアメリカや、国内でも熊本を皮切りに広島・岡山・富山・長崎・高知に事例がありました。
 
 
フィンランドでは街じゅうで、この様な事例が見れるそうです。
その数を生み出しているフィンランドの雰囲気というか考え方が
「あかんかったら止めたらええやん、ほんで良くしたらええやん」です。
(多分、実際は関西弁ではない)
  
電車の扉ひとつでも、とにかくやってみる。
この、取り組んでみてから改善するというサイクルが早い印象を受けたお話でした。
 
 
確かに、障害者の「できないこと」が減っていくことは当事者や周囲の生きやすさ・障害認識にも大きく影響します。
こういったアクションが国ぐるみで生まれる、国民意識や社会システムをより知りたいと思いました。 
 
 

障害の医療モデル⇒社会モデル⇒人権モデル?!

「障害」の捉え方にはいくつかのモデルがある
「医療モデル」の解釈 ⇒ 障害は個人の能力・機能によって起こるもの
「社会モデル」の解釈 ⇒ 障害は社会の障壁によって作り出される

医療モデル、社会モデルについては、障害者に関わる団体と仕事すれば
どんな意味で「障害者」という言葉を使っているかが見事に分かれていることが見えてきます。
 
 
昔この点について、記事にも書きました↓

「障害」は、誰かの持ち物じゃない。

僕たちはガンガンの「社会モデル派」なのですが、
今は少し、勉強が足らなかったと反省しています。

例えば、脳梗塞の後遺症で歩けなくなった(歩きにくくなった)際のリハビリの必要性は、
社会モデルで考えた時に当事者のニーズとずれる場合があります。(下図参照)
 
 

 
 
歩けるようになりたいのに、リハビリをしたいというニーズを持っているのに
周りが、段差を無くすことしか考えていなかったら、しんどいですよね。
ここに、医療モデルが単に古い考え方ではないことが良く分かります。
 
 
人権モデルに関して、まだ浅い解釈しかできておりませんが
腑に落ちた説明は、医療モデルと社会モデルを併せたような考え方というものでした。
要するに、人はだれでも生きる上で「ニーズ」を持っており
それは、社会の中で尊重されるべきだということです。

研修中、もう一つ印象的な言葉がありました。
「Nothing About Us Without Us(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)」です。
人権モデルでの解釈ではこのようなことが大切になります。

フィンランドでは実際に、PA(パーソナルアシスタンス)制度という
自分専属の介助者から介助を受ける、そしてその介助にかかる費用は公的費用で負担するという仕組みが存在します。
何とも、高負担高福祉を象徴するような制度ですが
現地では、この制度の「実際」にも迫ろうと考えています。
 
 
 

以上の点から考えられるSilent Voice 尾中 友哉としてフィンランド視察に参加することによって日本との比較からより良い社会のあり方を紐解き、得られた知見からその後の活動の発展を見出すためのプランニングおよび意気込みについての声明

がんばるぞ。

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