僕は「障害者」という言葉の意味がわからない

前回書きました『聴覚障害を「左利き」みたいにしたい』という記事が大変好評でした。
多くの方に共感して頂きとても嬉しいです。
記事をきっかけに講演依頼が3件来ました。時代の流れを感じます。
 
前回の記事はこれ↓

聴覚障害を「左利き」みたいにしたい
 
 
今回は、前回の「障害認識」のテーマに関連して
自分の障害認識を大きく揺さぶったエピソードを、聴覚障害のある自分の両親との体験以外で
3つに絞って、ご紹介したいと思います。
 
 
  1. 日本の聴覚障害者とアメリカのDeaf
  2. アメリカでUberでタクシーに乗った人の話
  3. 視覚障害者の保育士の話

日本の聴覚障害者とアメリカのDeaf

ある日本人の聴覚障害者と同じ聴力ぐらいの
アメリカ人の聴覚障害者が二人で新幹線に乗っていた。
 
 
アメリカ人のその人は、新幹線の車内販売員の女性に
「私、耳聞こえないから」と補聴器を指差し、
「ペンと紙をちょうだい」と紙にモノを書くジェスチャーをして
紙とペンを受け取るために手を伸ばした。何だか、堂々としているのだ。

「私、耳聞こえないからペンと紙をちょうだい」
  
 
隣に座っていた日本人の聴覚障害者はこう思った。
「日本人なら、『すみません、私は耳が不自由なので紙とペンを貸していただけないでしょうか』と言うだろう…」
 
 
「私、耳が聞こえないからペンと紙をちょうだい」
「すみません、私は耳が不自由なので紙とペンを貸していただけないでしょうか」
 
 
この両者の違いはなんだろう…?
 
 

アメリカでUberでタクシーに乗った人の話

特にアメリカにこだわっているわけではないが、続いてもアメリカ。
 
 

Uberというサービスはご存知ですか?
簡単に言うと、タクシーをスマホで呼べるのですが
これまでのようにタクシー会社に連絡するという仕組みではなく
一般の人がマイカーでタクシーのような運送サービスを行う仕組みなんです。
 
 
利用イメージはこんな感じ。

  • Uberの専用アプリを使ってスマホで登録している運転手にメールで目的地を伝える
  • スマホ上の地図ソフトで後何分でドライバーが到着するか分かる
  • ドライバーが到着したら乗る。目的地は既に伝えているので乗るだけ。
  • 支払いは事前にクレジットカードを登録しておけばOK
 
 
日本でも、全国各地というわけではないですが
都市部では実用的に使えるようになっているようです。
  
  
このサービスを使ってアメリカでタクシーに乗った人の話。
 
 
上記の手順のように目的地を伝えタクシーへ乗る。
運転手と雑談したいと思い、運転手に英語で話しかけた。
ところが運転手は無視。ひたすら目的地へ向かって運転を進める。
 
 
客が話しかけてるのに無視かよ…と少し寂しくなる。
そして、目的地に到着。クレジットカードで支払いは完了している。
 
 
その時、運転手が振り向いた。笑顔だ。
運転手は、ホワイトボードのようなものをお客に提示した。
 
 
そこに書いてあったことは、
「私は耳が聞こえない。運転中、あなたの話を無視したことがあったかもしれません。すみません。」
 
 
その時、わかった。Uberを利用すれば、
運転手とお客がコミュニケーションを取らずともサービスができるんだ。
運転手は聴覚障害者だったのである。
 
 
 
 
 
日本では最近、全国初の聴覚障害者のバス運転手が話題になったばかり。
 
 
今の時代の当たり前で、「できない」と決めつけてしまえば
誰かの可能性を奪ってしまうこともあるかもしれない。

 
 

視覚障害者の保育士の話

視覚障害者の保育士さんがいるって知ってましたか?
  
  
いるんです。しかも活躍されていたそうです。
私は直接お会いしたことはないのですが、尾中が聞いたのはこんな話。
 
 
大切な大切な子どもを預ける保育園にあって
最初はどんな保護者も担任の保育士さんが目が見えないということに驚きを隠せなかったようです。
しかし、その保育士さんも他の保育士さんと連携を取りながら保育をし
時間が流れて数ヶ月経つ頃には、子どもたちがその先生を大好きになったのです。
そのうちに、どこか心配もあった保護者さんにも安心感が広がっていったそうです。
 
 
そして、子どもたちに面白い変化が起こります。
お昼ご飯を食べて、子どもたちが食べ終わったことを先生に伝えるのですが
目の見えない保育士さんには食べ終わった後のお皿が見えません。
 
 
そこで、子どもたちは自分のお皿を持って先生にお皿を触ってもらいに行くのです。
そして、先生の手が汚れないように残さず、きれいに食べて持ってくるそうです。
  
  
この、相手を想う優しさは子どもが本来持っているものでしょう。
まだ小学校に入る前の子どもたちには「先入観」が何もなくて
みんなが当たり前にそれができるのです。
 
 
僕は、大人が「きれいに食べなさい!」とか「人に優しくしなさい!」と五月蝿く言うのではなくて
自然に子どもに気づかせたこの先生は、結果的に見て素晴らしいと思います。
正に、このダイバーシティやインクルーシブ社会と言われる、
これからの時代にとても大切な能力が子どもたちに備わったと思います。
 
 
 
 
「障害者を見てはいけない」「可哀想な人たち」と子どもに教えているのは誰でしょうか?
この様な先入観は、小学校に入る頃には子どもの中に完成すると言われています。
 
 
子どもが相手を理解したい時に、大切なことに気づく前に遠ざけてしまうのは誰なのでしょうか?
 
 
 
僕も生まれたときから、耳の聞こえない両親がいました。
確かに、親に代わって電話をとったり、いつでも手話通訳をしなければならないとか、ありました。
両親のできないことを僕ができることなら、やってました。
 
 
「自分、しんどかったっす」アピールじゃないですよ。
逆に僕のできないことで両親ができることは何倍もやってくれました。
僕のやったことの何倍もです。だから、僕は育つことができたのです。
 
 

 
僕は正直に言うと未だに、社会でふと耳にする「障害者」という言葉を理解していません。
「何かができない人…?」
いやいや、人間誰しもできること・できないこと、得意・不得意みたいなのがあって
だからこそ協力して、それを「人間関係」というのではないのかーい!と思ってしまいます。
 
 
自分のできないことを隠して、他人のできないことを無視する。
その先に、「人間関係」はあるのでしょうか。

1 Comment

羽渕 登

プレゼンテーションの中での、ご両親とのエピソードを聴き心が震えました。
「自分にしか出来ない仕事を」「1つ世話になったら 2つお返しする。」素晴らしい事ですね。
お会いして、直で
話しが出来ればどんなに嬉しいでしょう。

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