僕にもこれまで人生で度々悩んで「立ち止まっていた」時期がありました。
そして、その時期を「思い出したくない」時期がありました。
そこからさらに、今はあの時期があったから今があると思えることがあります。
そうすると、一番苦しくて悩んでいたあの時期は、果たして前進せず「立ち止まっていた」のか。
たしかに辛いし、元気も出ないし、先も見えない。
でも、そもそも辛いとか悲しいとか苦しいとかいった感情も
その感情が人間に備わったのは、それを避けるためであって
僕は確かに辛い・悲しい・苦しいときの直後には
自分の人生の方位磁針を確認するような
そんな時期が訪れたのでした。
そう思って、辛い・悲しい・苦しいときは、それが大切な時期だと思うようになりました。
(大切な時期を過ごしているはずの自分はボロボロだったりするのですが…)
でもそこから、方位磁針を手に持って、どこに向かうのか?
ここに答えがない限り、これらのことは綺麗事なのかもしれません。
しかしながら、先般のフィンランドの旅で重要なキーワードに出会った気がします。
前回のブログからの続きで、今回はその②をご紹介したいと思います。
「え?なんでフィンランド」ってなった人は、ぜひ前回の記事も読んでみてください。
経験のある専門家(Expert by Experience)
フィンランドで、圧倒的に面白かったキーワードだった。
今まで頭の中で未分化で言葉にできていなかったゾーンを綺麗に刳り出した
「Expert by Experience(和訳:経験のある専門家)」という言葉である。
例えて説明をすれば、ある会社に勤めていて鬱になったとする。
すると、産業医というカウンセリング技術を持った専門家に診てもらうことができる。
経験のある専門家という考えた方では「自身もその会社で鬱になった(それを乗り越えた)経験のある人物」が
カウンセリングをしてくれるという
フィンランドでは多くの障害当事者からの施設やサービスの説明を受けた。
困っていること、必要なこと、どう解決しているか、
その類の話を聞くにあたって当事者以上に共感性の高い説明ができる人はいないだろう。
頭で理屈を理解しても、心動かなければ
理解はできても納得(同意)はできないということが多々ある中で
経験のある専門家という存在は非常に理にかなっている。
そう思えば、僕の会社にも多くの経験のある専門家が働いている。
よく考えれば、僕自身も聴覚障害のある両親と過ごした経験を活かした聴覚障害についての専門家といえる。
日本社会を見渡せば既にたくさんの経験のある専門家がいると分かる。
ただ一つ言えるのは、
フィンランドではキーワード化され役割として認識されていることに対して
日本ではそれに該当する言葉はない。
フィンランドではこのような言葉のセンスも随所に感じた。
言葉によって認識は変わるのである。
僕はこの言葉が、障害当事者の意識を変えるパワーのある言葉だと感じる。
なぜならば、当事者自身がマイナスだと思っている経験や障害によるコンプレックスを
プラスに転換して人のためになれるというのが経験のある専門家という役割だからである。
自分が過去に悩んでいたことを、今それに悩んでいる人を救うために活かすことができる。
そしてそれには、希少性がある。
この行為から得られる自己肯定感は計り知れない。障害観をも変えるかも知れないものである。
この経験のある専門家のような発想は、マイナスをプラスに転換する。
何かを失えば、何かを得られる、辛い・悲しい・苦しいところから得たものに着目できる。
高齢者福祉のニーズが広がり続ける中で
障害福祉が財政を圧迫どころかオーバーフローする現状はフィンランドも日本も同じである。
この状況の中で、活躍の場が制限されている障害者には
この発想を大切に、これまでの障害者像に囚われない新たな価値を生めるような取り組みを共に進めていく必要性があると感じている。
また、障害者に関わらず、「いわゆる健常者」の僕にも同じことが言える。
というか誰にでも言える。
その苦労をしたということは、同じ苦労をしている誰かを救えるかもしれないってこと。
それは立派な役割であるし、これからもっと仕事に成り得る。
そして思う、立ち止まっているときも人生としては前に進んでいるはず。
この「経験のある専門家」という言葉や役割がもっと当たり前になって
前向きな発想が広がってほしい。
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