社会人としての原点。広告代理店の時の自分。

2012年の4月に僕は社会人になりました。
入社したのは、大手広告代理店でした。
勘違い野郎と思われるかもしれませんが(実際勘違い野郎でした)
学生を終えたばかりの自分には、自分がその会社に入社するんだと思うと
優越感というか誇らしく思えたことがありました。

入社後、東京本社の配属が言い渡され
いよいよ本当に東京に住むとなると、
家族や当時の彼女や犬や友だち(びわ湖も?)と離れることが寂しくて仕方なかったです。
でも強くなりたくて、そんなことを感じないように抑えていました。

そこで住んだのが「戸越」という街でした。
このあたりは一軒家が多く、商店街がたくさんあり
なんとなく人間くさい街な気がして、田舎生まれの僕は
他の街も検討せず、そこに住みました。(教えてくれた才ちゃんありがとう)



戸越銀座商店街は有名で大きいのですが、戸越公園通りというマイナーな方でした。ここから徒歩30秒位のところが家で、プレステ3を家から往復5分位で買って帰れたことに田舎もんとしては、東京を強烈に感じました。

そこに今日行ってきました。
基本、会社と自宅の往復の毎日で
ほんと、東京で方向感覚を掴める数少ない街です。

じゅうじゅう焼という、もうそこにしかないであろう中華料理屋?の
名物料理を食べて、一年間住んだマンションへ。

なんかもう、寂しさというか当時の緊張とか焦りとか
今でもその街の風景を見るだけで抑えきれなくて
当時はどんな気持ちで働いていたんだろうと振り返ってました。

出会う人・言葉、住んでる街、仕事、いっこいっこの新しいことが刺激レベル強すぎて
どんな敏感マンやねんと思いますが、処理しきれてませんでした。

ただ、周囲の時間の流れが早すぎてついていくのに必死でした。

そのときの自分の感じたことや行動に意味を求めることって無意味なのかなと
今思えば、何の軸も主張も欲もなく、やらないと怒られることをヘタなりに一所懸命やってました。

自分という肉体を操縦するのが、自分じゃなかったらもっとラクなのにと思ってました。

なんか、そんな気持ちで働いていたことって当時を思い返せば
言葉にはしていなくても、先輩たちの中で分かる人には分かってたんだろうなと思います。

その時に安心して付き合えていた先輩とは、今も連絡を取ることがあります。
数少ないですが、なんというか仕事以外の部分?!人間的なお付き合いをしてくださった方々です。
そういったことが今も確かな喜びです。

なんか、立派な経験をしてやめたわけじゃないし
会社にも貢献できなかったことに情けない思いはあるのですが
自分の礎になっている、原動力になっている感情の塊というか
一種のパワースポットになっている戸越です。

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